唯一無二の『ホームズ』、ジェレミー・ブレット

探偵ものを語るならばはずせない、アーサー・コナン・ドイル卿の『名探偵シャーロック・ホームズ』
人気の名作だけにいろんな俳優が映像化に挑戦し、いろんなバージョンがあるけれど、だんとつお薦めなのが Jeremy Brett(ジェレミー・ブレット)が扮するシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険 (The Adventures of Sherlock Holmes)』。全 41 話です。

これが、ホームズ役の俳優を探してジェレミーにたどり着いたのではなく、
「ジェレミー主演のために『シャーロック・ホームズ』が書かれた?」
と思わせるほどのはまり役!!!

わたしはチャンネルを変えてる最中に偶然 NHK で見かけて腰抜かしました。
だって一見しただけなのに誰だか一発で分かるほど、
そのまんま!

本の挿絵そのものの外見、神経質な声のひびき、イメージどおりのしぐさ、エキセントリックな雰囲気…と、どれをとっても文句のつけどころがない。本からそのまま飛び出てきたような「ワトスン君!」なホームズ。

ワトスン博士も出すぎず引かずでうまく釣り合いが取れているし、ミセス・ハドスンも芯のある面倒見の良いおばちゃん感がたいへん良いです。

例え「ホームズなんて興味なし」なひとでも、古いイギリスが好きなら一見の価値あり。

家具調度や衣装や小物などセットの細部にまで気配りが行き届いていて、全体をとおして漂う色調がなんともいえないからです。

シルクハットの紳士にドレスの淑女。
夕暮れ、レンガ造りの街中にともる街灯。
石畳に響く、駆け抜ける馬車のおと…
19世紀ビクトリア朝のイギリスの雰囲気が好きなひとにはたまらない作品です。

シャーロック・ホームズの物語はいまさらわたしが紹介するまでもないので、ここでは俳優のジェレミー・ブレットについて。
調べてみてびっくり。なかなかたいへんな苦労をされてきた方でした。

1933年生まれ。まず、ジェレミー・ブレットというのは本名ではありません。名家の跡継ぎとして生まれ名門イートン校で教育をうけた彼ですが、学業のほうは学習障害によるものか芳しくなく、歌唱力に優れ演劇を志したせいで「家名をまもるために」と本名を名乗ることを父親に禁じられます。

生まれつき ”R” が正確に発音できないという言語障害を抱えていたにもかかわらずそれを見事に克服し、舞台やTVで活躍したほか、映画では『マイ・フェア・レディ』にフレディ役で出演。ショーン・コネリー降板後のジェームズ・ボンド候補にもあがりました。

彼は1982年のグラナダテレビからのホームズ役の打診に「これまでにない史上最高のホームズ」を演じることを決意し、ホームズのみならず作者であるコナン・ドイルについての研究に心血をそそぎます。
彼がホームズの仕草や習慣などについてまとめた関連資料『ベーカー・ストリート・ファイル』は 77 ページにもおよんだそうです。

1984年に撮影が開始されてから情熱的に役柄に没頭しますが、「『ホームズを長期にわたって演じるとその役柄に魂を奪われてしまい自我を喪失してしまう』とおそれる役者もいる」との彼の言葉そのまま、ジェレミーのホームズにかける情熱は執念となり、そして執念はいつしか強迫観念的に。

1985年に妻(2人目。1人目とはジェレミーの男性恋人が原因で離婚)と死別した後はその悲しみと過酷な撮影のストレスから精神的に衰弱し、従来の激しい気分変動が悪化。入院の結果、躁うつ病と診断されリチウムを処方されます。

第3シリーズからは躁鬱病と闘病しつつの撮影となりますが、薬の副作用体液貯留と体重増加で動作が緩慢になり、外見的にも演技的にも徐々に変化が。終盤には目に見えて病状が悪化、何度も入院もしています。
それに加えて心臓が通常の2倍の大きさだった彼は呼吸困難もあり、撮影現場で酸素マスクが必要でもありました。

そんな極限状態のなかでもジェレミーは “But, darlings, the show must go on”(ああ、でも、幕はまだ下ろされていないのだから)と。1984年から1994年までホームズを演じ続け、心不全で1995年に他界しました。

「どうりで・・・」と鬼気せまる迫力も納得。
ジェレミー・ブレットの幾多の闘いに敬意を表せずにはいられません。

『シャーロック・ホームズの冒険』、傑作です。

彼の苦闘のたまものを、ぜひ一度観てみてください。

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