わたしは外人になりたい

「わたしは外人になりたい」と切に思うこの頃。
日本で『国際結婚家庭の日本人配偶者』として生活
することに限界を感じつつある。

その原因のひとつは想像していた以上にひどかった
日本社会の外国人に対する理解不足や、受け入れ態勢の不備。

もうひとつは在日外国人(おまえだ、邪鬼)の
日本社会への溶け込み努力不足。

そのふたつの相乗効果で、
日本社会と邪鬼の間にたつ調整役のわたしが壊れてきた。

ひとつ目の点に関しては、
『日本人のくせに…』にもちょっと書いたとおり。
「たまたま運が悪かっただけ。稀にそういう人がいるのは仕方がない」
とさらっと流せる人は、幸せだ。
そういう人たちは理解のある人たちに恵まれているか、
国際化に慣らされた環境に身を置いているのだろうと思う。

でも実際のところ、ウチのように
ふつうに貧乏なレベルで暮らしていると、
壁にぶちあたることが少なくない。
平然とそして公然と外国人差別をする人にも会う。

そして
そういう人たちに対応しなければならないのは
日本語のできるわたし
で、
そのたびに毒気にあてられ疲弊して、
精神的に擦り切れていく。

10 年前にわたしたちが日本での生活を諦めて
一旦イギリスに脱出したのもそれが原因だった。
『外国人の住まい探し』参照)

受け入れ態勢にしても、「なんなんだ」なことが多い。

そもそも公的機関で、
外国人がからむとお役人ごとに言うことが違う。
教育が徹底していないのか、
対外国人のマニュアルがそもそも無いのか?

そして振り回されるのは何故か一般庶民のわたしたち。

ふたつ目の点、邪鬼の努力不足。
頑張っていないとは言わないよ。

自己主張を尊ぶイギリス から
調和の日本 に来て、
いろいろ大変なのは分かる。

でも、それにしても
もうちょっと妥協しても
いいんじゃないか。
英語でだって
“Do in Rome as the Romans do”(郷に入っては郷に従え)
というでしょう。

日本語が全然できないというのも努力不足の一形態。
ことばを学ばずして
文化や習慣に対する理解は深められないのでは?

そしてここでも、医者にかかるにも通訳が、役所に行くにも通訳が、
都心に出るのにも道案内が必要・・・
と、いちいち付き添い業務がまたしてもわたしにおっ被さってくる。

小学校だの幼稚園だのの子どもの世話の合間をぬっての
スーパー秘書 業務。

それに対しての感謝の気持ちもまるで無く、
当然なことと飄々として、依然と自分を通す邪鬼。

あああ。
いま、わたしの願いごとが叶うならば、
外国に行って外国人として暮らしたい・・・。

イギリスに行ったら
「わたし外人だから、わかんな~い」
邪鬼に丸投げしてやるんだ。

ごめんなさい。
今、わたし、
思いっきり鬱はいってます…。

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